アーカット主義
初期のマルキオン教は、犠牲を捧げる儀式、魔道のテクニックや呪文、律法上の戒律、哲学的な思索などから構成されていたと考えられている。後にフレストル主義は初期マルキオン教の合理主義や哲学的要素を維持しつつ、新しい哲学的な流派を発展させた。その代表的なものが「ロカール主義」と「新フレストル主義」である。
しかし、これと並行して違和感を覚えさせる「アーカット主義」 Arkatism が存在する。神々やヒーロークエスターを重視し、矛盾を抱えながらも伝統的な慣習を尊重するアーカット教は、マルキオン教の合理性の影である。
そして我々は第二期、第三期のオーランス人の思想に、特にケタエラとドラゴン・パスに、アーカット主義の痕跡をいくつも見ることができる。
アーカットは『Cult Book』 *1 のなかでいろいろなところに垣間見える。ラリオスの現代の 「アーカット教団」については、より良い媒体を待つことにしよう *2 。言うまでもなく、現代のアーカット教団は他の宗派に影響を与えていない。
何よりも、同じ事象を複数の異なる織り糸で見たことが *3 、アーカット主義を作りあげた。その啓示の後、可能性に対して心を開くことが必要になった。そして、心を開くために必要なことはすべて使わねばならくなった! *4
オーランス人はこのアプローチ、つまり「アーカットのいないアーカット主義」の最大の受益者だったかもしれない。
アーカット主義を考えるとき、それは多くの要素から構成されていることを忘れてはならない。
- 風と大暗黒に重点を置いた単一神話(『Cults of Terror』や『トロウルパック』で提示されたものを想像してほしい)。
- ヒーロークエストのテクニック(範囲の決定、参加の仕方、自己認識、覚醒、変化など) *5 は歌と物語で表現され、瞑想、祈り、その他の理解へのアプローチに重点が置かれている。
- 光と生命と対になるものとして、大暗黒と死を受け入れる。
- パワールーンの極端な使用は、しばしばその対極にあるものとの組み合わせで行われる。
第二期の「近接聖域」*6 や「運と死の支配者たちの大会」では、このような要素が多く見られ、また、神知者ではより合理的な要素が見られる。
(Arkatism – The Well of Daliath より)