グローランサ備忘録

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フレーラー・アマーリ

ギョベクリ・テペ *1 が再び話題になっているが、これはグローランサでそれに相当する、グローランサの「第一神殿」であるフレーラー・アマーリ *2 。について話す良い機会だと思った。フレーラー・アマーリは、神々の時代にエネラリ族が“植物の王”フラマルが殺害された場所を示すために建てたものである。


『Guide to Glorantha』にはこんな記載がある。

神々の都はラリオスとセシュネラの間の紅の平原 *3 にある。神々の戦いでフラマルが殺害された場所である。そのため、ジェナーテラで最も神聖な場所の1つとなっている。


フレーラー・アマーリは、九大神の寺院として機能していた。フラマルの死後、エネラリ族はフラマルの神殿を建て、さらにフラマルの遺体を運んだアーナールダとゼンサの神殿を建て、九大神を鎮めることにした。


この場所の神聖さを保証するために、司祭は決して働かず、神々自身から食べ物や必要なものを与えられていた。また、この場所の神聖さは、黄色いローブを着ている限り、そこにいる、あるいは途中の巡礼者や司祭を守る誓約によって維持された。寺院には常に口寄せ役が存在し、その時々に担当する神々のために行動していた。180年、ゼイヤランの光持ち帰りし者たちは、フレーラー・アマーリでオーランスが9人の中で最も強力な存在であるヒューマット *4 の別名であることを明らかにした *5 。その一世代後、セシュネラ人がスラーマクに大きな寄進をし、水をなだめるようになった。その後、より小さな神々の寺院が加えられていった。


その栄光は、ヴェイデル人の魔道と呼ばれる特に下劣な堕落した魔法のよって崩れ去り、寺院は今日まで廃墟のまま残っている。



「曙」の時点で、エネラリの4部族(コリオニ、ウートン、フォルナオリ、ヴストリ)がダンガン同盟を形成していた。彼らは狩猟と馬耕、そしてガータ*6 とフラマルの恵み(狩猟採集と新石器時代の農耕の混合)で生活し、エヒルムカ湖とフェルスター湖周辺の豊かな土壌を掘削棒で耕していた。金属加工はほとんどなく(ただし宝飾品は装飾物として加工していた)、石や骨で道具を作っていた。後にセシュネラ人と金属製品を取引し、さらに後にはゼイランの宣教師から青銅器加工を学んだ。


エネラリ族は戦争で石斧と弓を使い、族長は神聖なガラニン族のポニーが引く戦車から戦っていた。馬はエネラリ族にとって特に神聖な動物で、宗教的な祭りの一環として馬の肉を食べた。エネラリ族はフェルスター湖畔に豊富に生息する野生の馬を狩る際に馬に乗ったが、当初は馬に乗って他民族と戦うことはなかった(馬車の車台の上から戦うことはあったが)。エネラリ族がセシュネラ人の重騎兵から身を守るために馬で戦うようになると、馬上での戦いが一般的になった。


ダンガン同盟の司祭は氏族間のすべての紛争を裁く役割を果たしたが、氏族自体はその族長によって統治されていた。フレーラー・アマーリでは毎年司祭が馬の生贄を捧げ、競馬を行い、選ばれた身代わりを彼らの土地から追い出し、踊りと歌を披露し、すべての神と女神が参加する手の込んだ祝宴を催していた。


さて、10年ほど前、グレッグがギョベクリ・テペ に行き、結局、私にそれに関する本の山をくれた。だからフレーラー・アマーリを考えるとき、ギョベクリ・テペを頭に浮かべるのは正しいことなのだと思うのだ。


(Hrelar Amali – The Well of Daliath より)


*1:トルコの紀元前1万年から紀元前8000年の新石器時代の遺跡。穀物栽培に先立つ時代で、今のところ栽培植物や家畜の痕跡は見つかっていない。ギョベクリ・テペ - Wikipedia

*2:ラリオスにある遺跡

*3:Crimson Plain

*4:Humat

*5:第一期、光持ち帰りし者たちの宣教はこのような形で進められていった。

*6:原文は Mata だがスペルミスだと思う