グローランサ備忘録

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第二期の啓発に関する覚書き

ラリオスとセシュネラ


450年、アーカットはドラストールから凱旋し、ラリオス(実際はフォーノアー地方)に帰還した。そこで彼は、500年に神格化されるまで、農耕と教育という簡素で禁欲的な生活を送った。その後、彼の弟子たちはラリオスを支配し、他の者がアーカット(とナイサロール)の秘密を悪用しないように努め、アーカットの遺産を継承する新しい世代の弟子たちを教えた。地元のカルト、新しい宗派、ドラゴン・パスや悪魔的な暗黒の神々のカルトが盛んになった。


この時期は、「正道への回帰運動」がセシュネラ、ジルステラを統合し、その連合軍が740年にアーカットの暗黒帝国の最後の僭主を滅ぼすまで続いた。征服された地域ではカースト制が導入・拡大され、支配者は神々に生贄を捧げなくなり、具象・擬人化された神々のカルトは抽象的なルーンの存在に嫌われるようになった。


しかし、1世紀も経たないうちに、神知者が推進する新旧のカルトが支配者の庇護を受けるようになり、謎掛け師の集団さえも神知者の庇護下に置かれるようになった。神々への一般的な礼拝は神知者によって奨励された(ただし、彼ら自身は哲学的な独立性と優位性を維持していた)。823年に中部海洋帝国がブリソスへの侵攻を試みて敗北すると、こうした傾向はますます加速していった。

ドラゴン・パスとペローリア


ラリオスだけがアーカットの教えを受け継ぐ場所ではなかった。グバージの敗北から一世代ほどのあいだに、ラリオスから南ペローリアに向かうアーカットの進行ルート沿いには、要塞化されたアーカットの修道院が見られるようになった。かれらは2世代にわたってドラゴン・パスを支配していたが、それもダラ・ハッパがオーランス人の支配に反抗し、490年代にハラサラン王とその同盟軍がドラゴン・パスにおけるアーカットの勢力を断ち切るまでであった。


しかしもちろん、それで終わったわけではなかった。第二期にかけてドラゴン・パスからスロントスにかけて、「狂える風」と呼ばれる神秘主義的な吟遊詩人が放浪し、狂気的でしばしば不穏な歌詞の信心深い音楽によって解放を求めつづけた。影の国では、暗黒の入信者たちがアーカットの城塞寺院で儀式を行い、光のナイサロールに勝利する3つの目を持つ黒い肌の悪魔的アーカットに生贄を捧げていた。


“左目の”ヴィスティコスは、ドラゴンと話すことを学び、575年に最初の「舞踏と狩猟団」を結成する前に、狂える風で訓練を受けていたと主張する学者もいるほどである。もしかしたら、ドラゴン的意識は、アーカットでさえ通ったことのない道をたどろうとすることから始まったのかもしれない。

帝国の時代


帝国の時代の最盛期には、神知者とワームの友邦帝国による哲学的洞察の結果、新しいカルトが爆発的に増え、古いカルトも新しい方法で崇拝されるようになった。イサリーズのカルトが中部海洋帝国を越えてフォンリット、クラロレラ、テシュノスへと広がり、トーラートとワチャーザが中部海洋帝国の軍神として採用され、フロネラ、ラリオス、ペント付近などEWFの辺境にイェルマリオの神殿が設立されたように、他所からカルトが輸入されたのである。クラロレラの「内的到達への道」、エンクロッソのジョグラムプール、ペローリアとプラックスの黄金竜など、新しいカルトが広く人気を博した。スロントスで「女神のすげかえ」がおこなわれ、サノールの大トリックスター学院が設立されたのもこの時代である。


つまり、第二期後半は、魔法・神話の実験期であった。そして、これらの実験の多くは、啓発の特徴を共有していた。例えば、ドラゴン的意識は、その参加に並外れた精神状態を必要とし、ウンバー主義(訳注:スポル哲学。ジオーラ・ウンバーと関連する可能性がある)やイレンサバル主義(訳注:新フレストル主義の源流)のように、異なる倫理・道徳のあり方を導入していった。


自称ナイサロール派の運動も盛んであった。テルヴィア人、白き太陽の王、マージン人たちは、ナイサロールの目を持って黄金竜に抵抗した。950年頃、ダラ・ハッパ皇帝は8つの啓発の学派を公式の帝国カルトとして採用した。ラリオスとセシュネラでは、謎掛け師、真命の領主、混沌僧、新解放、輝ける始まり、真のアーカット復興などの学派が広く人気を博し、時には神知者や敵の支持さえも受けるようになった。その結果、サナター、クラーシト、ヴィーヴァモートのようなカルト集団が誕生した。

没落


これらの実験的な運動による虐待や違反は、伝統主義者の猛烈な抵抗を引き起こし、最終的には敗北した。“ドラゴン殺し”アラコリングやカルヴァニアールのような旧来の伝統主義者たちは、ドラコン的意識が伝統的なカルトの礼拝に適合しないとしてこれを拒絶した。大魔道士のハルワールとヨミリールは、険悪なライバルではあったが、ともに神知者の退廃に反対した。神知者は「混沌」の拡散を隠していたことが明らかになり、神知者の砦の多くで「恐怖の主」たちの寺院が発見された。


ペローリアでは、ナイサロールの各派がドラゴン運動に反対し、「三世代の平和」時代の安定に大きく貢献したが、後にダラ・ハッパとカルマニアの戦争時代にウンバー主義の復活としてダラ・ハッパの後援者によって非難された。カルマニアはいくつかのナイサロール主義を保護したが、それはルナーの台頭に先立つカルマニア占領下の混乱期を生き延び、新しい名前で第三期に復活を遂げることになった。


1026年、ラリオス軍とセシュネラ軍が壊滅的な魔法で自滅し、セシュネラの権威は断ち切られた。その一世代後の1049年には、ルアーセラ人の魔法によってセシュネラ自体が粉々に粉砕された。


ドラゴン・パスとケタエラでは、1042年にドラゴニュートとトロウルがドラゴンと会話できる人間を皆殺しにしたため、ドラゴン的意識は消滅した。一夜にして何百万人もの人間が古ワーミッシュ語の記憶と理解を失い、多くの魔術技能と呪文、知恵と非人間的な力へのチャンネルを失った。トリックスターの学院は残ったが、1050年、スロントスの沈没とともに海中に沈んだ。他のカルトは1120年のドラゴンキルと共に滅ぼされ、暗黒アーカットのみが生き残った。


ラリオスでは、アーカットの秘密を受け継ぐと主張する様々な流派やカルトが、お互いをナイサロール主義者と糾弾して戦った。ナイサロールの出自を認めるものは滅ぼされ、クラーシト、サナター、ヴィーヴァモートといったカルトの隠れ蓑であると判明したものも同様に、滅ぼされることになった。アーカットの徒はやがて互いに反目し合い、それぞれが半神の真の秘密を持っていると主張し、第三期を通じてラリオスを悩ませたカルトと秘密結社の万華鏡のような状態を作り出した。