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アーグラスとアレキサンダー大王のアナロジー

アーグラスとアレキサンダー大王のアナロジーは、「英雄戦争」のサーターを考える上で、とても役に立つものだと思う。フィリッポスとアレキサンダーが台頭した頃の古典ギリシアを考えてみてほしい。最初のうちは、それまでの1世紀あまりの状況とそう変わらない。ポリスがあり、テーバイ、スパルタ、アテネと、いつも同じ主要プレイヤーがいる。そして、ペルシャ帝国が東岸にあり、皆を翻弄し、常に脅威となっている。


しかし、一世代も経たないうちに、マケドニア帝国ができ、将軍は自らを王とし、王は自らを神とした。
そしてポリスは、国土ではなく軍隊を支配する将軍に彫像を作り、恭順の意を示すことになる。


サーターとドラゴン・パスでも同様の激動が起こる。以下、『サーター』からの小ネタ。

アーグラスの軍制改革


英雄戦争の時代、サーターの軍隊は多くの変化を遂げた。経験の浅い部族民兵から疲弊した熟練兵、そして半端に反抗的な傭兵へと進化したのは、おそらく必然であったのだろう。公王の権力とカリスマ性は、ルナー帝国との長い戦争を戦うための軍と戦士を供給し続けた。


まだ公王ではなかったアーグラスがサーターの丘陵に戻ってきて以来、彼の軍隊の決定的な武器は歩兵ではなく、騎兵だった。ルナー侵攻以前の古文書においては、「サーターの輝くような槍歩兵の隊列」が特筆されていたが、アーグラスが復活させた伝統には歩兵が含まれていない。


その理由は、(1)サーターの既存の戦士の構造が、裕福な騎馬貴族("セイン"と呼ばれる)が、武装した自由民の群れを率いるように進化していたこと。(2)ドラゴン・パス、特にサーター王家とグレイズランドの間の伝統的友好関係により、馬の生産が豊富だったこと。(3)アーグラス自身の生活と訓練がプラックスの騎獣遊牧民のあいだで行われ(狼の海賊として過ごした3年間をのぞく)、自由に使える騎兵を見事に利用したこと(ただし、アーグラスの将軍たちは常に、手元にある力として二流の歩兵でさえもうまく利用していた)。(4)アーグラスの支援に召喚した魔術は、突撃戦術や集団騎兵戦術と密接に結び付いていたこと。


アーグラスは星の火の尾根にあった故郷を追われ、プラックスの遊牧民のもとに身を寄せてからすぐに軍隊の編成を始めた。ほとんどの部族では、外国人が権力や権威を持つことを禁じる厳しい法律や習慣があったが、社会的、政治的な境界を越えた秘密結社がいくつか存在した。アーグラスは、そのうちの3つの秘密結社に所属し、覇を唱えた。この「双槍」「剣の兄弟」「ブルロック」の3つの部隊は、彼の自由軍の核となるものであった。ドラゴンの歯の贈り物を受け取ったアーグラスは、ドラゴン・パスに戻ってきた。


サーター部族の民兵とサーター自由軍とサーター魔術協会の最初の部隊は、プラックスの遊牧民と一部の聖王国の志願者によって強化され、初期の戦闘の重荷を担った。アーグラスの成功と個人的な功績により、彼の民は統一された武装国家となり、権力への突進の頂点に立った。この間、グレイズランドやターシュ流民のように、多くの地方民も彼と同盟を結んだ。


しかし、アーグラスは決定的な武器として騎兵に偏ったものの、堅固な歩兵の中心部の価値を知らないわけではなかった。歩兵が必要なときは、陽の天蓋寺院、聖王国、ドラゴニュート、あるいは自分の部族から傭兵を雇った。包囲戦は通常、専門家に任され、ドワーフの血を引くと噂される有名な技術者ハラスパックが組織・指揮を執った。


アーグラスのドラゴニュートとの友好関係は、ワームや夢のドラゴンにまで及んだ。このようなドラゴンの盟友は、その後の彼の作戦においてますます多く見られるようになった。