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現代のルナー帝国

グローランサと現実世界の歴史比較」の年表(注:現実の西暦2020年をグローランサ太陽暦1625年と仮定する)を考えると、「西暦1775年頃にシェン・セレリスとペント遊牧民がペローリアに侵入した」と考えるのが良いだろう。西暦1860年に、赤の皇帝によってシェン・セレリスが征服されるまでの約1世紀の間、ペント人がペローリアを支配した。


この長い期間に、ペローリア低地平原の大部分は過疎化し、ペント人は現地人に対して信じられないほど残忍残酷な行為をおこなった。古代の文明やカルトの中心地は破壊された。ペント人は特にオラーヤ、リンリディ、カラサルの広大な地域を計画的に過疎化させ、「馬上のダラ・ハーパ」と呼ばれる地域は、少なくとも一部は遊牧民の生活習慣を採用したイェルム・カルトの信者によって支配された。ドブリアンのような場所は、それぞれの僭主たちによって支配されていた。


第5ウェイン(西暦1863年から1917年までに相当)の間に、ルナー帝国は再定住と再構築を行った。オラーヤが開拓され、ルナー中心地ではより広範な「ルナー」のアイデンティティが表明された。古代の地の多くが過疎化し、そのあと再定住されたことで、中心地は文化的に統合されていった。新ペローリアン語がルナー中心地の共通語となり、ダラ・ハーパ語(別名:火炎語)は典礼言語となった。西暦1906年、「恐怖の夜」の戦いでペント人は完全敗北した。西暦1906年から1世紀以上もの間、ルナー中心地では戦争が起きていない。


私たちが知るルナー帝国の姿が現れたのは、この時、ほんの1世紀ほど前のことである。古物研究家たちはいまだに『GRoY』(注:グレッグの書いた第一期のペローリア資料)を研究し、そのレンズを通して世界を想像しているし、『FS』(注:Fortuate Succession / グレッグの書いた主にシェン・セレリス前の帝国の資料)のような書物は、今では完全にルナー人となった旧イェルム人の貴族たちによって「永遠の帝国」の最良の現代版としてのルナー帝国が運営されているとするが、実際にはそれらの書物は、とっくに代替されたものを記述しているのである。


だから、現代のルナー帝国について考えるときは、次のことを思い出すべきである。


1、彼らは第一次世界大戦の終わり頃から最近まで、ルナー中心地で平和を享受してきた。これは、ローマの五賢帝の平和よりも長い平和の期間である。

2、 ルナー中心地の都市の多くは、「19世紀後半から20世紀初頭」に再構築された、かなり新しいものである。

3、GRoYで描かれた中心地の文化的多様性の多くは、ほとんどなくなっている。


その上で、西暦1913年から1967年に相当する第6ウェインについて考えると、次のようになる。


「恐怖の夜での大損害は、帝国の姿勢に大きな影響を与えた。ウェインの最後の10年間、帝国内では起こった事件に疑問を投げかける議論、論争が行われた。その結果、最初は単なる麻痺状態だったが、後に、探検的・拡張的な政策から意識的に撤退するようになった。まず支配者たちが、そして後には市民たちが、自国や近隣の文化への関心を強め、異国のものを敬遠するようになった。オラーヤの第5ウェイン様式に始まる複雑化した芸術様式は、第5ウェイン末期から第6ウェインにかけての、内面化された複雑な態度を反映したものである。」


そして、ルナー人たちは1960年代後半から現在までを「新たな黄金の時代」とみなしている。この時代は、ルナーの繁栄の頂点である。物理的、魔術的な芸術が花開いた。農作物はほとんど手をかけずに収穫できた。ルナーの人々は、過去を振り返って答えを探すのではなく、さらに進歩した未来を見据えている。


少なくとも、数年前まではそうだった。その自信に満ちた体系に亀裂が入った。その亀裂はますます大きくなっている。そして最近、ふたつの軍事的災害(注:ドラゴン・パスの竜の目覚めとペント遊牧民の再侵攻のこと)が帝国を襲い、その決意と自信を揺るがしている。


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